おかわり自由な世界へ

音楽を中心に好き勝手綴る。兎にも角にも、おかわりは自由で。

ランダム・アクセスと潮騒のメモリーズ

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Daft Punkの思い出たち

ダフト・パンクの8年振りの新作『ランダム・アクセス・メモリーズ』(以下『RAM』)が発売されてから約2ヶ月。いろんなアーティストの新譜が発売されているけど、今だこのアルバムを1日1回は聴いてる。スルメなアルバムではないと思うけど...不思議とその都度発見があるからか、これが中々やめられない。最近では携帯会社のCMに彼らの代表曲"One More Time"が起用されていたのも記憶に新しい中で、久々に発売された新作。聴いてない方、ダフト・パンクを知らない方にも、是非聴いてもらいたい1枚。

Daft Punk - Get Lucky (MV)
 

Random Access Memories
Random Access Memories [CD]



ところでこのアルバム。今までとは全く異なった制作プロセスを経て作られている。各所で取り上げられている通り、ダフト・パンク特有のサンプリングを駆使した表現から生演奏を主体としたレコーディングへシフトしている。それは過去の作品と比べながら一聴すると、初めて聴く人にも分かるほどの違いだ。だからこそ、デジタルからアナログに振り切ったダフト・パンクがとにかく新鮮で仕方がなかったのが初めて耳にした感想。 


なぜ、ダフト・パンクのようにテクノロジーを具現化し、時代の3歩先を行くようなアーティストがアナログ(=生演奏)に興味を持ち、それを形にしたのか。2013年の今、家電もスマートフォンも車も、テクノロジーを駆使したモノは皆ある一定の水準にまで達しているのに。それらは日常的に便利すぎることはあっても、不便だと感じることは少ないはず。ダフト・パンクはこの作品を世の中に放つことで、一体どんな世界を描きたいのだろう…
 

この疑問に対し、本人たちの以下の言葉を引用したい。

「このアルバムを一言で表すとしたら?」という質問に、彼らはこんな風に答えている。

トーマ:「音楽(ミュージック)」だと思うよ。

ギ=マニュエル:そうだね、「音楽(ミュージック)」だ。

トーマ:いや、たぶん「音楽性(ミュージカリティ)」だ。音楽性……現代の「テクノロジー」と言うと、過去30年間進化してきたレコーディングフォーマット、レコーディングのやり方、専門的な楽器の発達などを意味するけど、どんなに技術が進化しても、音楽性(ミュージカリティ)自体を向上させてはこなかった。まるでテクノロジーが真の音楽性の邪魔をしているかの様に。

そう、デジタルからアナログテープにすることもあれば、コンピューター上でアナログシンセサイザーからバーチャルソフトウェアに切り替えることもある。外観的な小型化技術や利便性の追求が進化して、もちろん素晴らしい音楽は今も沢山あるけれど、1つの時代をとってみると確実に音楽性の割合が顕著で重要視されていた時代があるよね。このアルバムではその音楽性にこだわりたかったんだ。

CINRANET
 
音楽に感情を取り戻すために DAFT PUNKインタビュー 


ここで語られている音楽(ミュージック)と音楽性(ミュージカリティ)はまさにハードとソフトのことだと思う。例えば今回の『RAM』の前作『Human After All』は結果として今流行りの"EDM(Electro Dance Musicの略)"の先駆けとなったわけだが、それは本人たちが描いたであろうシナリオではなかったはずだ。その反動として今作が生演奏に振り切れた、ということでもないが、EDMが流行となったからこそ、今作が浮きに浮いているとも取れる。なんとも皮肉な展開だ。

Human After All
Human After All [CD]

その”シーンを作り上げた代償”ではないにしろ、ダフト・パンクという音楽の鉄腕アトムが、そのハートに再び火を付ける起爆剤となったのが「自らの音楽への愛を再確認すること」だったということなのだろう。音楽(ミュージック)をハード、音楽性(ミュージカリティ)をソフトとした時、2人はソフトにこそ、自らの表現の源と新たな可能性を感じたのだ。
 
音楽性(ミュージカリティ)はテクノロジーでは説明できない。使用しているサンプリングや楽器を並べたところで、それは音楽を説明したことにしかならない。そこで2人が出した結論が「思い出(メモリー)」を語ることだったとしたら、『RAM』はまさに"アルバム"というフォーマットがピッタリくる作品になったわけだ。


●自らの思い出を作品にすること~宮藤官九郎あまちゃん
 

ダフト・パンク『RAM』には2人の音楽への思い出が詰まっていることが、制作プロセスやゲストミュージシャン等から伝わってくる。自らの思い出を作品としてアウトプットすることは、何も音楽だけとは限らない。それどころか、世の中にある表現作品の大半が思い出の塊だと言える。他人の思い出は表現されることで自分の記憶に焼き付けられ、思い出は新しい作品を生み出す原動力にもなる。このサイクルは音楽だけに限らず、すぐ身近で、すぐ目の前で繰り返されている。

自らの思い出を作品にする、という形で、『RAM』同様、多くの人の「新たな思い出」になっているモノがある。

それが宮藤官九郎が脚本を手掛けるNHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』だ。

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主人公の天野アキ(能年玲奈)が成長していく過程を描くこの朝ドラ。「じぇじぇじぇ!」という方言も流行語となり、2013年で一番話題になっているドラマだ。

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この『あまちゃん』がブームとなった要因として「アイドル」というキーワードがある。

主人公:天野アキは母:天野春子(小泉今日子)に連れられ、東京から春子の故郷・岩手県は北三陸へ引っ越す。その後、アキは海女である祖母の夏(宮本信子)に感化され、自らも海女となり、地域活性化のため、地元アイドルとして活躍し奮闘する。

そして今月7月からは"東京編"と称した後半戦がスタート。後半戦ではアキが”GMT47”のメンバーとしてスカウトされ、上京するところから話は始まる。東京にてアキは真のアイドルになれるのか…というのがアキを主体とした7月現時点までの大まかなあらすじである。
 
 

この作品を手掛けているのが宮藤官九郎なのだが...毎朝、毎回、そして毎シーンごとに「彼の思い出」が散りばめられているのが見て取れる。80年代から90年代にかけて、宮藤官九郎自身が育ったであろう時代の象徴が『あまちゃん』には無数に出てくるのだ。

ヴァン・ヘイレン「JUMP」(1984)やレイ・パーカー・ジュニア「Gorst Busters」(1984)などの洋楽から、YMO君に、胸キュン。」、松田聖子青い珊瑚礁」等に至るまで、幅広いというよりは、ある時代を盛り上げた楽曲がピンポイントでピックアップされている。
 
以下がドラマ内で使用された曲の一部だ。
■『あまちゃん』内で紹介された(カラオケで歌われた/歌われかけた)楽曲
アルフィー星空のディスタンス
斉藤由貴 「卒業」
・杏里「悲しみがとまらない」「CAT'S EYE」
高橋真梨子 「桃色吐息」
一世風靡セピア「前略、道の上より」
チェッカーズ涙のリクエスト
・欧陽菲菲「ラブ・イズ・オーヴァー」
松田聖子時間の国のアリス」「夏の扉」「青い珊瑚礁
・柏原芳恵「ハロー・グッバイ」
吉幾三俺ら東京さ行ぐだ
・吉川晃司「モニカ」
YMO君に、胸キュン。
橋幸夫吉永小百合「いつでも夢を」
村下孝蔵「初恋」
・『ゴーストバスターズ
原田知世時をかける少女
ヴァン・ヘイレン「Jump」
・ジュディ・オング「魅せられて」
郷ひろみ「2億4千万の瞳」
秋川雅史千の風になって」
美輪明宏ヨイトマケの唄
ピチカート・ファイヴ「東京は夜の七時」
吉幾三俺ら東京さ行ぐだ
・BOΦWY「NO.NEW YORK」 

TOWER RECORDS ONLINE
連続テレビ小説「あまちゃん」をより楽しむための音楽ガイド

松田聖子 - 青い珊瑚礁
 

 平成元年生まれの自分にはこれらの曲を聴いて当時に浸る...というフラッシュバックは起こさないんだけど。それでも宮藤官九郎の「思い出」が『あまちゃん』というドラマを彩っているのは間違いないし、ドラマだからこそ「思い出」を視覚的に見せることができるかもしれない。それが若者から高齢の方まで、世代を飛び越える力にもなっているのだと思う。

先ほど述べた「アイドル」というキーワードは、そんな世代を飛び超える力の象徴だと思う。どんな時代にも、どんな人にも、憧れている・尊敬している人=アイドルがいる。このドラマではアキがアイドルになるために奮闘する姿を、視聴者は「アイドル」として観ている。でも、何も若い、めんこい(可愛い)女の子だけがアイドルではないだろうし、挫折したユイ(橋本愛)も種市先輩(福士蒼汰)も、水口マネージャー(松田龍平)も大吉(杉本哲太)も、誰かしらの「アイドル」なのだ。
 
脚本を手掛けた宮藤官九郎に取って、アイドルとは何なのか。
 
それは以下のインタビューで少し語られている。
昔と今では、アイドル像って違ってきていますが、アイドルという存在はいつの時代も絶対に必要だと思います。誰か必ずいなくてはいけない。
子どもの喜ぶ顔が見たくて、アイドルのCD発売日にお父さんが朝一で買いに行くっていう文化はなくしちゃいけないと思う。アーティストではなく、アイドルという存在が絶対に必要です。
ぼくがアイドルに夢中になっていた80年代、特に松田聖子さん以降は、聖子ちゃんのようになりたかったけど、結局みんななれなくてという時代。そういうアイドルに対する憧れとか、なれなかった失望感みたいなものは、僕と同年齢くらいのお母さんたちには感情移入してもらえるのではないかと思っています。


宮藤官九郎にとっての「アイドル」は松田聖子小泉今日子であり、ダフト・パンクにとっての「アイドル」はナイル・ロジャースジョルジオ・モロダーでもある。偉大な功績を残したからという外からの評価じゃなく、単純に自らの内側からの憧れとして、彼らがいるのだろう。そして「アイドル」はいつの時代でもいるべきだと、両者とも分かっているからこそ、『あまちゃん』にも『RAM』にも、新時代の「アイドル」たる才能(『あまちゃん』なら橋本愛有村架純、『RAM』ならジュリアン・カサブランカス(trom ザ・ストロークス))が光り輝いているのではないかと思う。

 
 
●「思い出」をキャッチすること

今回は単純に洋楽で話題の作品と人気の朝ドラを並べてみたが、ダフト・パンク宮藤官九郎の「思い出」の込め方とその表し方は色々と学ぶべきところがある。

洋楽は聴かれなくなった、テレビがつまらなくなった、という風潮があるが、それは私たち情報の受け手が、その受け取り方の数を増やす代わりに、単体の、大きな枠組み(「洋楽」「テレビ」という規模)での受け取り方が下手になっているんじゃないかな?、と思う。ダフト・パンク宮藤官九郎も無意識に自らが好きな人と好きなものを生み出しているけど、実際、彼らの作った作品を多くの人が楽しんでいる現状がある。それは今の人が下手なら下手なりに、足りない部分は自らの「思い出」で補いながら他人の「思い出」を楽しむ力があることを証明してくれてる。だったら、楽しんだモン勝ちだと思うんだけど....

ダイノジ大谷さんやスージー鈴木さんのような楽しみ方だって、多いにアリですよね。


あと『あまちゃん』でいうならば「小説トリッパー」での中森明夫さんの"午前32時の能年玲奈"がマスト。「アイドル」の歴史をオールジェネレーションの「思い出」とリンクさせることができるはずです。

小説 TRIPPER (トリッパー) 2013年 6/30号 [雑誌]
小説 TRIPPER (トリッパー) 2013年 6/30号 [雑誌] [雑誌]


そしてこちらも話題のニュースですよね。「潮騒のメモリーズ」発売。
潮騒のメモリー(初回限定紙ジャケ仕様~アナログEP風レトロパッケージ)
潮騒のメモリー(初回限定紙ジャケ仕様~アナログEP風レトロパッケージ) [CD]


だいぶ話が逸れてしまったけど、ダフト・パンク 『ランダム・アクセス・メモリーズ』も、宮藤官九郎あまちゃん』も人の「思い出」から生まれた作品だ。だからこそ、人の「思い出」になってからその真の価値が生まれるのかもしれない。。生み出したのは一組のアーティスト、もしくは一人の脚本家かもしれないが、それは「思い出(メモリー)」ではなく、受け手に伝わって「思い出たち(メモリーズ)」になって初めて完成する作品なのだ。

"潮騒のメモリーズ"という挿入歌も、宮藤官九郎の複数の思い出が生み出した歌詞からなる音楽だし、ダフト・パンクも「メモリーズ」という意味合いについて以下のように語っている。
 

トーマ:20年前、僕たちが音楽を作り始めた頃と今の現代では大きな違いがある。コンピューターの存在が強くなり、社会、社会的行動さえも占領している。人工知能(AI)とまでは行かないけど、インターネットの世界が突如人類の延長線上になったようにさえ感じるよ。テクノロジーという人工産物やそこに付随する情報などが、知能の延長線そのものになりつつあるんだ。

人間の脳とハードドライブの類似点、相違点を例にとっても、ハードドライブは実に、保存するのが簡単だよね。だから、「メモリー」と「メモリーズ」の言葉にも意味を持たせた。「メモリー」は「データ / 情報」であり、「メモリーズ」は同じ言葉でも「感情」がこもる。この「感情」という本質が、ロボットと人間を分ける違いであるという理解を表現したかった。極限まで設計された人工知能(AI)が感情という次元を持てるのか、とかね。

CINRANET
 
音楽に感情を取り戻すために DAFT PUNKインタビュー

”潮騒のメモリー”でも”ランダム・アクセス・メモリー”でもダメだった。トーマのいうように”メモリーズ”という”感情”を乗せて届けたからこそ、普段は届かない人にも届いたのだと思う。テクノロジーも音楽もドラマも、そして時代も、"メモリー”だけで留めてはいけないターンに突入したのだとしたら、両作品とも2013年というタイミングにこそ正しく評価されてほしい。